以前、半自動の組立設備を導入したときの話。
その設備は、ベースとなる部品を治具にセットし、2~3個の部品を仮組みしてからスタートボタンを押すと、設備に引き込まれて加工が始まる仕組みだった。
導入直後、ある作業者からこんな質問を受けた。
「どうやったら、うまくできるんですかね。」
初めて扱う設備だったこともあり、なかなか思うように作業できなかったのだと思う。
そのときの私は特に深く考えず、試作段階で自分が掴んでいたコツを教えた。
「この部品を少しこう持つと組みやすい」
「ここを先に合わせるとやりやすい」
そんな内容だった。
さらに、そのコツは作業手順書にも反映した。
当時は良い対応をしたと思っていた。
作業者へノウハウを伝え、それを標準化したのだから。
しかし今になって振り返ると、本当に解決すべきだったのは別のところにあったのではないかと思う。
■作業者は「作業をする人」
作業者の仕事は、決められた作業を安全に、安定して繰り返すことだ。
理想を言えば、作業はシンプルで自然にできるべきだと思う。
考えなくてもできる。
迷わなくてもできる。
慣れなくてもできる。
そういう状態に近づくほど品質は安定する。
つまり、
誰がやっても同じ品質でモノができる
という状態に近づく。
一方で、コツが必要な作業はどうだろうか。
コツを知っている人と知らない人で差が出る。
理解できる人と理解できない人で差が出る。
教わった内容を作業時に思い出せるかどうかでも差が出る。
品質が作業者の経験や記憶に依存している状態とも言える。
■標準化されていれば十分なのか
もちろん、コツを手順書に書くこと自体は悪いことではない。
個人のノウハウを形式知化する活動として重要だ。
ただ、それは本質的な解決なのだろうか。
例えば手順書に、
- この向きから入れる
- 少し押し込みながら合わせる
- ここを指で支える
と書かれていたとする。
確かに標準化はされている。
しかし、その工程は依然として作業者に判断や技量を求めている。
もしかすると標準化したのはコツそのものではなく、
「コツが必要な工程」
だったのかもしれない。
■コツを教えるのではなく、コツをなくす
今なら、作業者から
「どうやったらうまくできるんですかね。」
と聞かれたら、コツを教える前に違うことを考える。
なぜコツが必要なのか。
治具で位置決めできないのか。
間違った組み方ができないようにできないのか。
部品形状や工程順序は見直せないのか。
設備側で吸収できることはないのか。
生産技術が向き合うべきなのは作業者の習熟度ではなく、工程そのものだと思う。
■全自働化だけが答えではない
この考え方を突き詰めれば、答えの一つは全自働化になる。
人が判断する必要も、コツを覚える必要もなくなるからだ。
しかし現実には、全自働化が常に最適解とは限らない。
コストもある。
生産量もある。
柔軟性も必要になる。
だから重要なのは、
どこを人に任せ、どこを設備に任せるか
を考えることだ。
治具化で解決するのか。
ポカヨケで解決するのか。
設備化で解決するのか。
教育で十分なのか。
SQCD全体のバランスを見ながら、その境界線を考えていく必要がある。
■おわりに
あのとき私は作業者にコツを教えた。
その対応が間違っていたとは思わない。
ただ今振り返ると、本当に解決すべきだったのは、コツを教えることではなく、コツが必要な工程をなくすことだったのかもしれない。
生産技術の仕事は、コツを増やすことではない。
コツをなくすことだ。
人が頑張ることで品質を作るのではなく、自然に良品が作れる仕組みを作ること。
あの作業者の何気ない一言は、そんな当たり前だけれど大切なことを改めて考えさせてくれた。

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