「一度、バカになる」

工程設計

設備検討をするとき、私が意識していることがある。

それは、一度「バカになる」ことだ。

もちろん本当に何も考えなくなるわけではない。これまで積み上げてきた知識や経験、常識をいったん脇に置いて、まるで何も知らない人間になったつもりで考えてみるのである。

生産技術者として経験を積んでいくと、知らず知らずのうちに多くの”前提”を持つようになる。

圧入するならプレスを使う。

搬送するならコンベアを使う。

位置決めするなら治具を作る。

それは決して悪いことではない。むしろ経験から生まれる定石は、検討のスピードを上げ、失敗を減らしてくれる。

既存技術の延長線上にある設備であれば、その経験値は大きな武器になる。

しかし、新しい工法への挑戦や難しい工程の自働化を検討するとき、その武器が時として足かせになることがある。

■尊敬する生産技術部長の話

昔勤めていた会社に、生産技術部長がいた。

私は今でもその人を尊敬している。

ただし、それは特別な技能を持っていたからでも、誰よりも知識が豊富だったからでもない。

その人の強みは、広く浅く集めた様々な知識を柔軟に組み合わせる力だった。

技術的な壁にぶつかったとき、私たちが必死に既存のやり方を改善しようとしている横で、まったく別の切り口から解決策を提示してくる。

その発想は時に突拍子もなく見える。

しかし不思議なことに、その案を検討してみると理にかなっていることが多く、実際に採用すると上手くいく。

そして最後には決まってこう言う。

「俺は詳しくないから知らないけどな」

その言葉を聞くたびに思った。

本当に強い人は、知識の量だけで勝負しているわけではないのだと。

固定概念に縛られず、問題そのものを見ることができる。

だからこそ、私たち専門家が見落としていた突破口を見つけられるのだろう。

■固定概念は、気付かないうちに増えていく

技術者は経験を積むほど優秀になる。

しかし同時に、「こうあるべき」という考え方も増えていく。

例えば設備構想中に、

  • この工程だからコンベアが必要
  • この精度なら高剛性の機構が必要
  • この動きならサーボモータが必要

と考え始める。

もちろん多くの場合、それは正しい。

だが、本当に必要なのだろうか。

そもそも搬送が必要なのか。

そもそもその動きをさせる必要があるのか。

そもそも工程そのものを変えられないのか。

そんな問いを投げかける人がいなくなると、設備は少しずつ複雑になっていく。

■煮詰まったら、一度バカになる

だから私は、設備検討が煮詰まったときや、ある程度設備の形が見えてきたときに、一度だけ「バカになる」ようにしている。

何も知らない人だったらどう考えるだろう。

生産技術を知らない人が同じ課題を与えられたら、どんな方法を思いつくだろう。

そんな視点で考え直してみる。

すると驚くほど多くの前提が見えてくる。

自分では合理的だと思っていた機構が、実は過去の経験に引っ張られていただけだったりする。

当たり前だと思っていた工程が、本当は不要だったりする。

複雑な設備構成が、ずっとシンプルな形に置き換えられることもある。

■シンプルは正義

私はシンプルな設備が好きだ。

シンプルな設備は、設備を作る人に優しい。

部品点数が少なくなり、組立も調整も楽になる。

シンプルな設備は、お財布にも優しい。

コストが下がり、投資回収もしやすい。

シンプルな設備は、現場作業者にも優しい。

操作が分かりやすく、トラブルも少ない。

シンプルな設備は、保全担当者にも優しい。

故障箇所が分かりやすく、復旧も早い。

もちろん、シンプルであることが目的ではない。

求められる機能や品質を満たした結果としてシンプルになることに価値がある。

そして、そのシンプルさにたどり着くためには、時に経験や常識を疑うことが必要なのだと思う。

■おわりに

生産技術者にとって経験は大切な財産だ。

しかし、その経験が固定概念という檻になることもある。

設備検討が行き詰まったとき。

構想が複雑になりすぎていると感じたとき。

そんなときは一度だけ、何も知らない人になってみる。

「そもそも本当にそうなのか?」

という視点で考え直してみる。

意外にも、その先にある答えは、これまで考えていたものよりずっとシンプルかもしれない。

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